晩白柚ルポルタージュ

熊本に住む33歳の日記です。 2019年5月までトロントでワーホリをしていました。一人旅、カレー、キャンプなどについて書いています。

阿蘇・熊本地震の爪痕を辿る

晩白柚です。

11月8・9日にかけて、阿蘇方面にキャンプに行ってまいりました。その模様をお伝えしたいのですが、お伝えする前にひとつこのブログに書いておきたいことがありますので、筆をとります。

なぜ僕は阿蘇方面にキャンプに行ったのか?それは、先の熊本地震による崩落で長い間不通だった国道57号がようやく開通したからなのです。

 

熊本地震で阿蘇方面へ向かう国道57号は分断されていた

2016年4月14日21時26分と16日1時25分に、熊本県を中心とする熊本地震が発生したのは、皆さまご承知のとおりだと思います。このうち16日1時25分発生の本震によって、南阿蘇村を通る国道57号が土砂崩れで分断されるとともに、その隣にあった阿蘇大橋が谷底へ崩落したのです。

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在りし日の阿蘇大橋(画像はWikipediaから)

この国道57号の分断と阿蘇大橋の崩落によって、われわれ熊本市民が阿蘇方面へ向かうためには、これまで様々な迂回ルートを通らざるを得ませんでした。

 

10月に国道57号が復旧

時は4年が経ち、今年になっていよいよ阿蘇方面への交通について、復旧の目処が立ってきました。土砂崩れによって不通となっていたJR豊肥本線は8月に、先にお話した国道57号は10月に開通しました。

そして復旧とともに、震災遺構として遺された土砂崩れと橋の崩落現場に、ふたたび足を踏み入れることができるようになったのです。

 

崩落現場

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阿蘇大橋の崩落現場

上の写真は立野方面から河陽方面を見た阿蘇大橋の崩落現場です。写真の真ん中に、谷底に向かって崩れ落ちている橋の遺構が見えるのがわかりますか?

 

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橋の西側の山が土砂崩れした跡

橋の西側には、土砂崩れを起こした山があります。上の写真の左右を走っているのが、阿蘇方面へ向かう国道57号で、長年に渡り通行ができないほどに土砂に埋まっていました。

崩落した橋の跡も、土砂崩れの跡も、生々しいほどにリアルな地震の爪痕が残っており、われわれを震え上がらせます。

 

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数鹿流崩之碑

崩落現場は展望所として整備され、祈念碑が立っています。この崩落に当時大学生だった男の子が巻き込まれ、地震から4か月後に谷底で発見されるという痛ましい事故も起こりました。

一人の尊い命がここで失われたと考えると、地震とは本当に恐ろしいものであり、常にわれわれは畏怖の心を持って自然災害と向き合い、備えていかねばならないと考えさせられました。

 

新たな阿蘇大橋は来年開通予定

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新たな阿蘇大橋

新しい阿蘇大橋は旧橋から南へ600メートルほどのところに建設され、2021年3月に開通予定です。たとえ崩れても人びとはみずからの手で何度でも再生させていく、そして人の営みは続いていく。そこに人の力強さを感じました。

 

 

キャンプの記事を書く前に、まずは地震の爪痕とその恐ろしさを皆さんにお伝えしたかったので、この記事を書いた次第です。写真ではこの生々しさがちょっと伝わりづらい気もしますが、もし熊本を訪れた際は、この展望所にも寄ってみてください。

長くなりましたので、また次回。