晩白柚ルポルタージュ

熊本に住む33歳の日記です。 2019年5月までトロントでワーホリをしていました。一人旅、カレー、キャンプなどについて書いています。

三十五歳になって


ツユクサという花がある。

 

薄青く小さな花びらを数枚従え、道ばたの隅で目立たずに佇んでいる、我が日本ではだいたいどこでも見ることができる雑草である。

朝に咲いて夕刻にはしぼんでしまうこと、その花で染めた衣の色が落ちやすいことなどから、古来よりツユクサは儚さの象徴として捉えられてきた。

 

今年のいつだったか、酒を飲んで祖母と談笑していたとき、彼女からこのような話を聞いた。三十年ほど前、僕が小学校に入りたてくらいの頃。まだなんら開発の進んでいない祖母の家のまわりで、僕は彼女と花を摘み、押し花に興じていたそうである。そして「あんたが、ばあちゃんこの花好きって言いよったのが、ツユクサだったんよ」ということであった。

恥ずかしながら三十年以上生きてきて、ツユクサという花を僕は知らない。覚えていない。スマホでツユクサを調べ、その写真を見て驚いてしまった。

 

人には美の基準というものがあろう。どういったものを美しいと捉えるかは、当人が今日までに培ってきた審美眼による。三十五年の間に僕の中で育まれたのは、儚くあっという間に消えてしまうもの、みづから主張することなく静かに佇むものを美しいと思う、ある意味日本人らしい基準であった。

咲いてすぐに散ってしまう桜の花などは当然美しいと思うものの極地であるし、こう言うと多方面から叩かれそうだが、儚く散っていった旧日本兵を美しいと感じるのも、僕がこの国の人間たるが所以なのかもしれない。

 

スマホが映したツユクサは、ビジュアル的にお世辞にも絢爛豪華な麗しさを持ってはいない。花びらの色は薄い青で、どことなく病的な雰囲気さえも漂わせている。しかし僕はそれを直感的に美しいと思った。驚くべきは、三十年前の僕が、すでにそれを美しいと感じていたことであった。

もちろん祖母との懐かしい思い出がありありと思い起こされた感動もあろう。しかしそれ以上に、三十年の間で築かれた美の基準というアイデンティティが、すでに小学生になりたての自身の心に芽吹いていたことに気付かされ、目から思いもよらず涙がぽろぽろとこぼれていた。

 

 

周囲の環境が目まぐるしく変化した一年であった。

僕は今、病院の経理として働いている。うつ病を患いなんの経験もない僕を雇ってくれた会社には感謝しかないが、そんな僕がここで活躍できていることへの喜びも日々噛み締めているところである。

今はその記事を公開していないので誰もわからぬところではあるけれども、昨年の前半は「もうこの世から消えてしまいたい」と書くほどどん底に陥っていた。思えば三十歳で国家公務員を辞めてからというもの、この五年ほどは地獄のような日々だった。自分にはなにも無いと苦悩し続けた三十代前半であった。

今日の僕はどうだろう。どん底から這い上がり社会に戻ってきた。気づけば隣で僕を支えようとしている人もいる。これらは大いなる自信を僕に授けた。積み重なった経験がゆるぎない血肉となって自分を形づくっているのを感じる。今の晩白柚は無敵である。

 

 

ツユクサは雑草である。美しさのシンボルではないし、あっという間に枯れてしまうその花を弱い存在だと感じる人は多い。場合によってはなんら価値を見出されず摘み取られることさえある。だが道の片隅でさりげなくアスファルトを突き破っていることもある。人間にとって美しく生きるとはどういうことなのか。僕はツユクサのようでありたい。