晩白柚ルポルタージュ

熊本に住む33歳の日記です。 2019年5月までトロントでワーホリをしていました。一人旅、カレー、キャンプなどについて書いています。

三十四歳になって

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大晦日から一刻も寝ないまま本などを読んで過ごすうちに年明けをむかえ、せわしない初笑い番組を垂れ流すテレビの前で祖母の作った煮物やちょっとした元旦料理を食べ、ビールとアナフラニールの催す眠気にもうろうとしながらいまこうして半年ぶりに記事を書いております。

 

年の暮れ三十日には東京から熊本に帰ってきた檸檬と乾杯を交わしました。コロナウイルスの影響でじつに二年ぶりの再会となりましたけれども、二十年来のつきあいである彼の健やかな姿をまたこうして見ることが出来、おたがいの将来について語り合えたことは、この一年を何事もなく過ごすことができた喜び、生まれてこの方三十数年を何事もなく過ごすことができた喜びを感じさせます。

翌日の夕刻に祖母の待つ城南の家に戻ってきますと、元旦にむけて祖母が台所に立っております。台所へ続く廊下を歩けば海老や人参、昆布、ごぼうを煮込む和風出汁のかおりが漂って来、この匂いを嗅げばたちまち、ああ今年もこの時期が来たという思い、そしてまた何事もなく一年を過ごすことができたことへの感謝を感じることができるのであります。

 

昨年六月には最早もう消えてしまいたいという旨の記事を書いてしまうほど(補注:その記事はその後すぐ下書きに戻しました)上半期はダーク晩白柚に陥っていのですけれども、八月四日に職業訓練へ通い始めてからというものまわりの人びととの出会いは毎日を華やかなものにし、学校へ早く行きたい、いやむしろもっと生きていたいと思われるほどポジティヴな気持ちになりました。

とはいえ十八日に一つちがいの神田沙也加が亡くなったことには大きな衝撃を受けました。彼女はもしかすれば以前から小さなSOSのサインを周囲に出していたのかもしれぬ一方、ほとんど衝動的に死んでしまったやに言われております。正直言って僕も明日は我が身というか、明日突然この世からいなくなってしまう心配が、コントロールできない僕の心のうちに潜んでいるかもしれないと思っています。

 

いずれにせよ、明日のこの世に自分が生きているのかわからない不安を噛み締めて毎日を過ごしてはおりますけれど、この半年間で出会った人びとと過ごした時間がこの上なく楽しかった事実は変わりませんので、本当に心から感謝したいと思っています。

十二月八日に三十四歳になりました。いよいよどこぞの物書きが言っておった将来に対する唯ぼんやりとした不安が頭の隅でうろうろし始めています。もう少しもがいてみる決意です。