晩白柚ルポルタージュ

熊本に住む33歳の日記です。 2019年5月までトロントでワーホリをしていました。一人旅、カレー、キャンプなどについて書いています。

30歳になって

丸々1か月も放置してしまい、そうしている間に、表題のとおり30歳になってしまいました。日記開設4か月目にして「30歳を目前にした男のエッセイです」とは謳えなくなりました。どうしたものか(どうするつもりもありませんが)。

この1か月間は、ネタ探し、といっても、この「晩白柚ルポルタージュ」向けのネタではなく、某旅行メディアの編集部へ記事を投稿するためのネタを探して奔走しておりました。ですので週末は割と外を出歩くことが多かったわけですが、結果として、ネタとして準備した2本の記事は、諸般の事情により某旅行メディアへは投稿しないことになりました。お蔵入りさせるのも忍びないことですので、追々この日記上でその2本のネタを公開していきたいと考えています。

さて、30歳です。表題の「○○歳になって」とは、元々大学生の頃にイトシマオが書いていた日記のタイトル「20歳になって」へのオマージュでして、それから後になって僕が毎年誕生日に日記を書く際も、この定形句を拝借しているのであります。「20歳になって」が書かれた頃から早10年も経ってしまったのは感慨深いことこの上ありません。きっと10年先も「40歳になって」というタイトルで日記を書いているのでしょう。成熟してしまった人間は10年経ってもだいたい同じようなことをやっているのです。

晩白柚東京譚」を読み返してみますと、29歳になった時は東京都美術館へ「ゴッホゴーギャン展」を見に行ったようです。ゴッホの30代のエピソードは僕が好んで頻繁に周囲に話すもので、「東京譚」にも記載していますから、そのままここに引用してみましょう。

何よりも驚いたのは、ゴッホが画家を志したのが27歳の時だということである。人生は30歳から始まる、それは最も活力に満ちているからだ、というようなことも言ったらしい。ゴッホは結局、精神に異常を来して37歳で自殺してしまったから、その格言に100%の説得力があるとも思わないが、彼が画家として業を成したのは確かだ。僕は今まで、人生のピークは20代にあると考えていて、その20代が終わろうとしていることに一つの絶望のような気持ちを感じていた。ゴッホの存在は僕を勇気づけてくれる。人生はもっと面白くできるのかもしれない。
晩白柚東京譚 2016年12月11日 「29歳になって」

30代の活力というのはどこか憂いを伴ったものなのかもしれません。20代のエネルギッシュさとは少し違う様相を呈しているように思います。
昔の日記で、このように書いたこともあります。

いつかの日記で、朽ちていくものは美しいと書いた覚えがある。人間はそうではない。人間が朽ちていくことほど醜いものはない。しかし一度作った思い出は不変だ。朽ちる人間が醜いからこそ、変わらぬ思い出は美しいのかもしれない。ただ、思い出は思い出すことができなければ思い出ではない。だから忘れないように日記を書こうと思う。
晩白柚東京譚 2016年11月27日 「秋の色」

僕は人間が朽ち果てていくことほど醜いものはないと思っています。桜が散るのが美しいのは、桜の花が花であるうちに散るから美しいのだ。死ぬのなら、活力のある30代のうちに、美しいままで死ぬのもよい。最近はたまにそんなことも考えたりします。こういったことは数年前まで頭に浮かびもしなかったのですが、考えの変化とは面白いものです。

そんな30歳の冬であります。