晩白柚ルポルタージュ

熊本に住む33歳の日記です。 2019年5月までトロントでワーホリをしていました。一人旅、カレー、キャンプなどについて書いています。

あやしい傘売りとヴェルサイユ宮殿~2015年フランスの旅(4)

晩白柚です。

5年前のフランス一人旅をお送りしています。前回はノートルダム大聖堂を訪れた1日目、ホテルの部屋のブレーカーを落とした云々まで書きました。


2日目に入ります。この日はヴェルサイユ宮殿、コンシェルジュリー、エッフェル塔を巡ります。

 

RERでヴェルサイユ宮殿へ

ヴェルサイユ宮殿へ向かうにはいくつかの方法があります。僕はRER(エール・ウー・エール)というフランス国鉄が運行する急行鉄道を利用しました。

一般的にRERは治安が悪いと言われています。特にB線は最悪とのこと。パリ最終日にB線にチャレンジしますが、それはまた別のお話。今回はC5線でヴェルサイユ・シャトー・リヴ・ゴーシュ駅を目指します。

RERの列車にはスプレーで落書きがしてあったり、車内がちょっと臭かったりしますが、思ったほどひどくはないという印象です。女性は遠慮するかもしれませんね。列車の隅でアコーディオンを弾く男性が陽気に歌っていて、のどかな雰囲気だなとさえ感じました。

 

あやしい傘売り

パリ市内を出発した時はそれほどでもなかった天候が到着するころには悪化して、シャトー・リヴ・ゴーシュ駅に降り立つと外は土砂降りの雨。

「傘持ってねぇ・・」

この駅は宮殿まで歩いて5分ほどのところに位置していますが、傘なしに宮殿を目指そうものなら一瞬でびしょ濡れ、入場を断られる勢いでしょう。

「○✕△□○✕△□・・(フランス語)」

駅の外に出るのを躊躇している僕に、あやしい黒人男性が近寄ってきて、あいかわらずよくわからないフランス語で何かまくし立ててきました。手には一本の折り畳み傘。傘を持ってない僕につけ込んで傘を売りつけようとしています。

「いくら?」

「5€」

こんな素性のわからない謎の男から傘を買うなんて癪ですが、背に腹は変えられません。断腸の思いで5ユーロを支払うことに。

「メルシー!」

男が嬉々としてその場をあとにします。広げてみると、粗悪な造りのその傘は吹きすさぶ風の力に早速耐えきれず、すぐにでも裏返しになりそうでした。

 

宮殿の中へ

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雨の中宮殿へ向かう大勢の観光客

宮殿前の広場には、入場待ちの客が尋常ではないほど列を成していました。数十メートルの列が、5、6回も折り返して層を成しています。雨がどんどん強まる中、この列に並ぶのかと気が滅入りましたが、ひたすら耐えて待ちました。

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入場待ちの列が何層にも連なっています

1時間ほど待ってようやく中へ。ヴェルサイユ宮殿は17世紀にルイ14世が建造した絢爛豪華な城です。世界史はまったく詳しくない僕も、さすがにルイ14世の名前は絶対王政の権威として頭に刻まれています。この宮殿は絶対王政の象徴として世に知られている建物です。どこからともなく「朕は国家なり」という言葉が聞こえてきそうです。 

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宮殿内は隅から隅まできらびやかです。特に天井に無数に描かれた絵画は圧巻の一言でしょう。僕はどちらかというと日本の古民家とか、質素なたたずまいが好きなのですが、さすがこの宮殿の装飾には息を呑みました。

 

様々な歴史の舞台となったヴェルサイユ宮殿。その中でも異彩を放つ空間があります。それが「鏡の間」です。

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「鏡の間」に映った晩白柚

「鏡の間」には豪華に装飾された鏡が壁に何枚も施されています。この部屋で第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が結ばれました。その知識を踏まえたうえでこの部屋を歩けば、劇的な歴史の片鱗に触れて改めて息を呑むことができるでしょう。

 

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2時間ほど歩き回ったあと、宮殿内に置かれたカフェで昼食をいただきました。クリームチーズを挟んだサンドイッチとハイネケン、9.7ユーロでした。

 

コンシェルジュリー

RERでパリ市内に戻ってきました。日没までもう少し時間があるので、ミュージアムパスが使えそうな、かつ並ばなくてよさそうな名所を探し求めて、「コンシェルジュリー」に行き着きました。

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コンシェルジュリーは一言で言えば牢獄です。今日において一般にコンシェルジュといえば、ホテルやデパートなどでサービスを行う人のことを言いますが、フランス語では「門番」「守衛」を指し、いつしか牢獄そのものが「コンシェルジュリー」と呼ばれるようになったようです。

1793年から...約2年間に、2780名に対して死刑判決が下されたという。...、当時はその牢獄に入るとかならず死刑になるというので「死の牢獄」「ギロチン控えの間」とよばれた。(Wikipedia)

とあるようになかなか陰惨な歴史を持った場所です。マリー・アントワネットも投獄されていたとされ、彼女が過ごした独房も再現されています。

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この写真からはその血なまぐささを想像できませんが‥

 

バスティーユ広場

シテ島からサン・ルイ島を抜けて東へ向かうと、バスティーユ広場が見えてきます。1793年のフランス革命において、民衆が襲撃したバスティーユ牢獄があった地として有名ですね。現在は革命の記念柱と、オペラ・バスティーユが建っています。

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記念柱(中央)とオペラ・バスティーユ(右)

 

エッフェル塔のシャンパンフラッシュが見たい!

この日の締めくくりは、前日に疲れ果てて行くことができなかったエッフェル塔です。メトロを使ってエコール・ミリテール駅へ向かいます。

着いたのは17時半。日本なら間もなく日が暮れる時間ですが、こちらはなお真っ昼間のように明るく、観光客で溢れていました。

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エッフェル塔は、日没後の毎時0分から数分間、きらきらとライトアップされる「シャンパンフラッシュ」が行われています。男一匹、パリにやってきてイルミネーションを見るなんてあまりにも寂しすぎますが、恥を忍んでも見たいものは見たい。9月の寒空の下、出店で買ったホットコーヒーを片手にシャンパンフラッシュを待ちます。

が、いつまで経っても日が落ちません。20時まで待っても「そろそろ夕方かな?」というほどの明るさです。鼻水がしたたり落ち、いよいよ寒さと空腹に耐えられなくなったので、シャンパンフラッシュを断念。泣く泣くエッフェル塔をあとにしました。

なお、9月ごろのパリの日没は21~22時のようなので、シャンパンフラッシュを眺めたい方はその時間を目指して行きましょう。

 

リオン再訪

この日の夕飯は前日に訪れた「Léon de Bruxelles」を頼りました。昨夜に続きエディ・マーフィ似のスタッフが快く接客してくれます。

この時もカメラを持っていなかったので、メニューの様子をお伝えできず残念です。

  • ビール「Affligem」1杯
  • ムール貝のバター炒め
  • ライス

アフリゲムはベルギーを代表するビールのひとつです。ほんのりフルーティな香りが特徴で、前日に飲んだペルフォースより好みの味を醸していました。ムール貝は生まれてはじめて食べました。クセがなく食べやすいです。食歴が浅い僕は「あ、これアサリのバター炒めだな」と思ってしまったのは内緒です。

 

2日目を駆け足で辿ってみました。翌日はついにモン・サン・ミッシェルへ上陸しますが、長くなりましたのでまた次回。

 

2015年9月22日
Olympus E-M5 + M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6II R

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